第10回北海道Acute Care Academy開催報告
2024.08.07
本年で第10回となりました北海道Acute Care Academyですが、爽やかな初夏の好天の元、札幌グランドホテルにて、現地参加22名、オンライン参加53名、合計75名に御参加をいただき、開催させていただきました。
一般演題は5演題をいただき、市立旭川病院外科 岡村国茂先生と、本年大学に帰局された 新田健雄先生に、座長の労を執っていただきました。
最初の演題は札幌東徳州会病院救急集中治療センター部長 松田律史先生より「致死的消化管出血に対してDCIRを選択した救命例」をいただきました。北海道初となるHybrid emergency room system (HERS) をどのように使用するのかを含め、Interventional radiologistを専門とする救急医として重症消化管出血症例をどのように治療していくのか、救急科、放射線科が、外科や消化器内科と協力しながらDamage Control Interventional Radiology (DCIR) 戦略をもって病院が一丸となって最良の治療を行おうとする姿勢が印象的でした。
次いで、宇治徳州会病院外科 角田海斗先生より「当院におけるハイブリットERでの肝外傷診療の経験」をご発表いただきました。当初現地でご発表予定でしたが、勤務の関係から難しくなり、はるばる京都よりオンラインでご発表いただきました。2019年とHERSを比較的早期に導入された宇治徳州会病院では、通常の外傷診療のA(気道管理)B(呼吸管理)C(循環管理)D(脳神経管理)E(体温管理)の順ではなく、A、CT、B、C、D、Eと初療室搬入後可及的早期にFocused Assessment with CT for Trauma (FACT) を宇治徳州会病院でmodifyしたmFACTを行い診療戦略を立てていくとのことでした。HERSが導入されていない病院ではこの戦略はなかなか難しそうですが、今後HERS導入の波が来ると思われる北海道において、大いに参考になりましたご発表でした。
3例目は、帯広厚生病院外科 篠原良仁先生より「残胃癌術後の肝再発に対してMWA施行後に遅発性横行結腸穿孔を来した1例」をいただきました。Microwave Ablation (MWA) は近年では焼灼範囲などが改善された事により安全性が高まり、原発性あるいは転移性肝癌の治療に大いに使用されるところではありますが、予想外の合併症は避けられず、Surgical Rescueを念頭においた外科手術のサポート体制は欠かせないものです。今後の改善策の検討を含め、大いに討論も盛り上がりました。
4例目は、旭川赤十字病院呼吸器外科 福永亮朗先生より、「重症間質性肺炎合併気胸に対しV-V ECMO下で手術を行ったが救命しえなかった1例」をいただきました。「今でもどうしてよいのかわからない」と表現された本症例は、基本的に呼吸器外科の素養を持つ参加者の全員が「厳しい」と考える症例であり、まずその手術自体に問題がなかったことで意見一致を見ました。その上で、麻酔あるいはECMO自体の管理、特にカニューレの位置の問題とrecirculation率をはじめとした効果の評価が十分であったか、麻酔医を含めたチーム医療体制の構築は十分であったなど、次回同様の症例に遭遇すれば必ず救命しようと、白熱した議論が展開されました。
最後に、市立釧路綜合病院外科 城崎友秀先生より、「診断・加療に難渋した若年女性の敗血症の1例」をいただきました。原因不明の腹膜炎で発症した本症例について、適切な全身管理と手術を含む診療方針、そして確かな技術で培養の難しい事も少なくない劇症型溶血性連鎖球菌が起因菌である事を見抜き、治療に至り救命を得たという症例は、外科の力もさることながら、Acute Care Surgeryに対する病院全体の総合力の勝利という事で絶賛を得、見事にブラックジャック賞を勝ち取りました。城崎先生、おめでとうございます。
本年のレクチャーは、国立病院機構函館病院 外科 特別院長 大原正範先生にご司会いただき、札幌東徳洲会病院 外科 主任部長 萩原正弘先生より、「DICの診断と治療~ハイブリッドERの話題も含めて~」と題していただきました。敗血症ガイドライン2024を念頭に、多臓器障害を防ぐ為には早期治療が必須であり、そのためにもリコモジュリンが有用である事をご教授いただきました。また本年より運用開始となりました札幌東徳州会病院のHERSについて、その使用法や体制構築についてもお教えいただき、興味の尽きぬ内容に30分という時間が瞬く間に過ぎ去りました。
特別講演は本年も平野聡教授にご司会いただき、沖縄県病院事業管理者 病院事業局長 本竹秀光先生に御講演を賜りました。沖縄では第二次世界大戦で医師が64名まで減少、そこから米国から来られた先生方や本土に留学させた契約学生を中心に沖縄の医療が新たに創り上げられ、そして1980年の琉球大学医学部設置に至らしめたという苦難の歴史を我々は全く存じておりませんでした。そのような状況の中与那国島で生を受けられた本竹先生が遠く大阪大学で医学を学ばれた後1981年に沖縄に戻られ、心臓血管外科医として沖縄の外科を発展された事で今の沖縄がある事、心臓血管外科医をはじめ沖縄の外科医が当たり前のようにAcute Care Surgery全般を担当できるのは、このような歴史において専門分野のみならずGeneral Surgeonとして研鑽を積むことが当たり前であったこと、そのための教育システムが確立しており、そして若手がさらに若手を指導する屋根瓦方式の教育が時間を惜しむことなく行われていたことなどを、ご自身の経験に即してご教授いただきました。本竹先生、本当にありがとうございました。
2014年に開始された本会が無事節目の第10回を終了出来ましたことも、ひとえに皆様のおかげと感謝いたします。また来年も、涼しい札幌で熱く議論を交わせるよう、準備を続けさせていただきます。
皆様、今後とも何卒よろしくお願いいたします。