海外留学者からの手紙

エッペンドロフ大学(ドイツ)

今朝8時に遅い夜明けを迎え、朝日輝くセーヌ川を見て始まった一日は、オーストリア・ウイーンへと走り抜ける寝台列車の中で終わろうとしています。今日はフランス:ベルギー:ドイツと3カ国の国境を列車で越え、今夜4カ国目の国境を越えます。欧州に来てすぐ、1週目にすでに1ヶ月が経過したくらいに感じます・・とメールに記した私。色々な事を経験しながら6ヶ月を過ごし、いよいよ最後のイベントに向けて晩秋の欧州を大移動しています。季節は晩秋、やっと帰国。私の留学もまもなく終わります。

平成26年8月11日、3ヶ月過ごしたバーミンガムを離れ、次の目的地ドイツ・ハンブルグへと向かうところから留学後半は始まります。後半3ヶ月はブリュッセルに拠点をおいて、内視鏡外科を学びつつ、欧州各地の施設を訪問し、色々な話を聞き、手術を見せてもらい、できれば今後のつながりを作ることを目標としました。当初訪問する予定の無かった施設も含め、結局5カ国5施設を訪問することが出来ました。

ハンブルグ

ドイツ北部の主要都市。訪問先:ハンブルグ・エッペンドロフ大学病院外科(平成26年8月14日―16日)綺麗な街の印象、しかし忙しすぎて観光出来ず。

ハンブルグ・エッペンドロフ大学病院外科は首から足まで、心臓血管・移植・整形外科を除いて外科と名の付くものは概ねすべて担当しているいわゆる大外科です。年間の手術症例数は6000例。食道200例・膵臓200例・肥満手術400例などなど。主任教授のIzbicki教授は膵臓外科の権威として知られておりますが、実はその昔は肺癌のリンパ節郭清の研究で日本胸部外科学会の受賞歴があるなど、多才な外科医であります。日本は明治以降ドイツ医学をお手本として発展してきたこともあり、ドイツの手術室の雰囲気は少し前の日本のそれに酷似しております。極めて清潔な手術室で、静かに手術は進んでいきます。此処では時間の許す限りすべての手術に助手として参加させてもらい、間近にドイツ流外科を見せていただき、手術の合間にICUや病棟を見せていただきました。最後の夜にはIzbicki教授から夕食に招待され、おおよそ3時間に渡り、ドイツのみならず欧州の外科の事情・ジャーナルの特徴・現在行われている研究に至るまで色々なお話を伺うことができました。

ブリュッセル

ベルギーの首都。EUの本部がある、欧州の心臓部と称される町。中世の町並みが良く保存されており、観光地としても有名。パリを田舎にするとこうなる・・と言われて久しい。(美食の街らしいが、全く縁なく2ヶ月経過・・。)

訪問先:CHU Saint Pierr Hospital(平成26年8月18日―10月14日)

サン・ピエール病院消化器外科は、内視鏡外科に特化し、主に良性疾患の手術を担当しております。スタッフは主任教授以下術者5名(メインの術者3名)・フェロー2名(二人ともベルギー国外からのフェロー)・ビジター1人:私(途中からスペインから参戦し2人)。病床数は20床前後と多くはありません。欧州の良性疾患と言えば肥満。BMI40は可愛いうちに入り、時にBMI70超 200Kgを超える人を手術することもあります。次いで胆石・ヘルニア・逆流性食道炎などが挙げられます。此処ではスタッフが少ない事もあり(丁度夏休み期間にもあたり)、毎日、すべての手術の第1助手・第2助手として手術参加する毎日でした。一番困ったのは共通言語がフランス語であること。言葉には苦労しましたが、魔法のように繰り出される縫合・結紮のテクニックの数々、超肥満体に対する手術戦略等々、毎日が新鮮な驚きに満ちておりました。

全く見たことが無かった様々な肥満手術に加え、単項式手術の第一人者であるProf Dapriによる、様々な手術の助手も務めました。彼は独自に開発した手術器具を用いて、安全かつ確実な手術を数多く行っております。実際に手術の一部分を担当しましたが、そこは単項式手術・・決して簡単なものではありませんでした。

ベルギー滞在中は英国と異なり、緊急手術の呼び出しもないため、休日には隣国やベルギー国内の街を見て回ることが出来、欧州の多彩な文化の一端にふれることができました。

ストックホルム

スウェーデンの首都。数多くの島で成り立っている大変綺麗な街。

訪問先:Karolinska University Hospital Center for Digestive Diseases訪問日(平成26年9月22日―27日)

6月に英国で行われた欧州膵臓病学会の会場で、Del Chiaro准教授と知り合い、急遽施設訪問が決まりました。今回は上部消化器外科を訪問。上部消化器外科は4チームに分かれており、上部消化管・肝臓胆道・膵臓チーム・内視鏡チーム(ERCPやESDを担当)それぞれが多くの症例をこなしております。特に今回は膵臓外科チームを中心に見せていただきました。またDel Chiaro准教授の計らいで1件の鏡視下食道手術・3件の膵手術にも入れてもらったほか、各部門のチーフとの面談・研究部門の教授との面談・放射線科Drとのディスカッションなどの時間も頂く事ができ、最終日には北海道大学消化器外科IIで行っている外科手術について、ミニレクチャーまでさせていただきました。Del Chiaro准教授は欧州の外科医としては珍しく、画像診断・術前化学療法や拡大手術(当科で提唱しているAdjuvant surgery)にも取り組んでおり、様々な膵手術や画像診断についてのディスカッションも数回行いました。(カロリンスカ研究所では年5週間の休暇取得を義務づけられているうえ、金曜日は半日勤務。3人の固定スタッフで年150例―200例の膵手術をこなしつつ、年3本―4本の原著論文を発表し、欧州の膵臓外科のまとめ役として、欧州や米国の数多くの学会で活躍している外科医が自分と同期相当であることに、たいへんな刺激を受けました。)

アムステルダム

オランダ。言わずと知れた運河の街。観光地としても大変有名。

訪問先Academic Medical Center (AMC)訪問日:平成26年10月13日。

欧州出発前に何の伝手も頼らず、直接肝臓・胆道外科担当教授であるvan Gulik教授に直接メールを送り、短期の施設訪問と肝門部胆管癌の手術見学を御願いしたところ、快く訪問の許可をいただいきました。しかし9月以降、手術予定が決定する度に連絡を頂いていたのですが、日程が合わず、やっと最後に肝門部胆管癌症例の手術予定に合わせて訪問することができました。AMCの外科は胸部・消化管・肝胆膵・外傷(すべて外科が担当)に分かれており、それぞれのチームが多くの症例をこなしております。Van Gulik教授の専門は肝・胆手術と研究で、特に肝門部胆管癌に関しては現在欧州随一の症例数と様々な臨床研究を行っており、欧州の中心的治療施設となっております。また研究部門も充実しており人工肝臓の開発から腫瘍学に至るまで多彩な研究が行われております。肝切除(複雑な肝切除のみ)100例前後・膵切除70例前後で、開腹手術のみならず腹腔鏡下手術にも積極的に取り組んでいるとのことでした。Van Gulik教授は日本の外科の歴史を名古屋大学名誉教授の二村先生と共著で英文論文として出版されるなど、知日派として知られており、故近藤先生とも親交があり、北海道大学との縁も少なからずあるとのことでした。驚いた事に私の書いた数本の論文をあらかじめ読んでおられた様子で、北大消化器外科IIの胆管癌に対する手術適応・診療方針などについてディスカッションをしていただきました。

パリ

フランス。この街について解説することはなにもありません。花の都。

INSTITUT MUTUALISTE MONTSOURIS(消化器外科) 訪問日:平成26年10月15日―17日。

施設訪問というよりもProf Gayetの手術見学に来ました。同期の海老原先生も渡欧してきてくれ、一緒に手術見学をしました。Prof Gayetは60才をとっくに超えた超ベテラン外科医で、対外的には肝胆膵外科の内視鏡外科手術で有名ですが、実際は内視鏡外科と名の付くほぼすべての消化器外科手術を担当しております。手術のスタイルはいわゆるフレンチスタイル・ソロサージャリーで行っております。イソップという音声認識で動くカメラホルダーを用い、カメラ操作から視野展開・切離まで単独で行います。左利きのため、左手にエネルギーディバイスをもち、右手には把持鉗子を兼ねたバイポーラーを持ち、これらを巧みに操作しながら、経験と解剖に関する深い知識に裏付けられた神業のような技術を駆使して、手術をおこなっておりました。

 

終わりに

さて旅路は進み、先ほど留学最後のイベントである欧州消化器病週間(UEGW2014 ウイーン)での発表を無事に終えました。夕刻ウイーンを出た列車はオーストリア国内を時速160キロで走行しております。あと2時間ほどで今回の最終目的地のドイツ・ミュンヘンに到着します。ミュンヘンから帰国便に搭乗。車窓からはオーストリアの丘に沈む夕焼けが綺麗に見えております。北海道にしか見えない欧州各地の風景、これもついに見納めです。

長い6ヶ月。慣れない言葉・文化・待遇・人種、色々な場面で苦労したことも事実で、途中挫折しかけた事も多々ありました。その上多大な業績を残したわけでもなく、すごい技術を短期で身につけた訳でもありません。人生が180度変わるような強烈な体験をしたわけでもなさそうです。しかし、この6ヶ月で多くの出会いがあり、新たに友人を得ました。そして彼らから、他には代え難い多くの宝をもらいました。きっと私の願いはすべて叶えられ、すべて望んだ通りになったのでしょう。ご支援いただいた皆様に感謝します。

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